ゴッホ展2020 兵庫県立美術館 [アート・カルチャー]
閉館していた兵庫県立美術館が、3/17から再開したので、意を決して3/19に行って来ました。チケット購入だけでも20分並ぶほどの大盛況。帽子、眼鏡、マスクの3点セット、肌身離さずに、何カ所かにおいてあるアルコール消毒剤で手を消毒しながらの鑑賞。
薔薇
1880年、27歳の時に画家を志したファン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890)は、画業の初期にハーグ派の影響を受けました。特に、中心的な画家のひとり、アントン・マウフェ(Anton Mauve, 1838-1888)が縁戚関係にあったことから直接の指導を仰ぎ、その後、ハーグに移住して他の画家たちとも交流します。
ヨゼフ・イスラエルス(Jozef Israels, 1824-1911)やヤコプ・マリス(Jacob Maris, 1837-1899)、マテイス・マリス(Matthijs Maris, 1839-1917)らマリス兄弟を中心としたこのグループは、街の近辺で出会う身近な風景を描きました。対象を正確に写し取るのではなく、示唆に富んだ筆致で仕上げた彼らの絵には、時としてスケッチのような趣が残されています。このように、細部ではなく印象を重視した手法をファン・ゴッホはまず身につけたのです。
(兵庫県立美術館サイトより)
ゴッホは、画家になることを決心してから、独学で学び始めた。色彩理論や素描について描かれた本を読み、それを実践する場としてホルバインやミレーなどの過去の巨匠作品を模写した。(ゴッホ展図録より)
疲れ果てて ファン・ゴッホ
ジャガイモを食べる人々 ファン・ゴッホ
器と洋梨のある静物 ファン・ゴッホ
白い帽子を被った女の頭部 ファン・ゴッホ
ゴッホは農民画家として、上記の作品を描き、友人たちに披露したが、反応はそれほどよいものではなかったようです。
この展覧会では、ゴッホが影響を受けたハーグ派の画家たちの絵も展示されていたのがとてもよかったと思う。私はなかなか観る機会がないからだ。その中から数人の画家の絵をご紹介します。
4頭の曳き馬 アントン・マウフェ
縫物をする若い女 ヨゼフ・イスラエル
街の眺め ヤコブ・マリス
出会い(仔ヤギ) マティス・マリス
これらの絵は、派手さはないがどの絵も、人間の温かみを感じることができると思う。
ー「『芸術は自然に付け加えられた人間だ』僕は芸術という言葉についてこれ以上の定義を知らない。」by ゴッホー弟テオへの手紙より抜粋ー
1886年、ゴッホは弟テオを頼って突然パリに出た。ファン・ゴッホは、初めて目にする印象派の作品に大きく衝撃を受けるのだった。
陶器壺の花 アドルフ・モンティセリ
モンティセリはゴッホがパリに出てすぐに心酔した画家だそうです。暗い背景と明るく鮮烈な花の色の対比、盛り上がった厚塗りに筆遣いなど、多くを彼から学んだとのこと。
花瓶の花 ファン・ゴッホ
それまで写実主義的な絵を描いていたファン・ゴッホは、印象派の作品に大きく衝撃を受け、その明るい色遣いや筆触を取り入れるようになった。
エラニーの牛を追う娘 カミーユ・ピサロ
大好きなピサロの絵の展示もありました。
ーピサロが言っていることは本当だ。色を調和させたり、また不調和にすることで生まれた効果は、思い切って強調しなければならない。ーテオへの手紙よりー
クールブヴォアのセーヌ河岸 クロード・モネ
モネのすばらしい風景画です。何と美しいのでしょう。
ー……今や彼らの作品を見てきて、その一員でないにしても、印象派の絵のいくつかに大いに感服している。例えば、ドガの裸婦やクロード・モネの風景画なんかそうだ。-友人の画家リヴェンスへの手紙より-
水飼い場 ポール・ゴーギャン
ーデッサンについてゴーギャンが教えてくれたことに僕が多くを負っていること、それに彼が自然を愛するその方法を常に高く評価しているのは確かです。僕の意見では、彼は芸術家である以上に人としてすばらしいー友人の画家、ジョン・ピーター・ラッセルへの手紙よりー
タンギー爺さんの肖像 ファン・ゴッホ
モンマルトルのテオとファン・ゴッホの住まいの近くにタンギー爺さんの画材屋があった。この店主は画家たちの面倒をよく見て「タンギー爺さん」と慕われていた。……(ゴッホ展図録より)
ータンギー爺さんのところに小さな部屋を借りて、かなりの数の作品をそこにおくことにした。(……)こうすることで、爺さんはいつでもとても簡単にきみの作品を飾ることになる。ブドウ畑や夜景の効果に使われている色遣いに、爺さんがどれほど夢中になっているか想像できるだろう。いつかきみにも、ぜひ彼の賞賛を聞いてほしいよ。-テオからの手紙よりー
タンギー爺さんのことを、原田マハさんが「ジヴェルニーの食卓」という短編集に書いています。タンギー爺さんの人柄がリアルに感じられるように描かれていますので、ご興味があればどうぞ。
南仏の光溢れる景色の中で、ファン・ゴッホは独自の技法を打ち立てていきます。自然を観察し、原色を使い、絵の具を厚く塗り重ね、風景や人々を描きとめました。
(兵庫県立美術館サイトより)
河岸の木々 ファン・ゴッホ
麦畑 ファン・ゴッホ
サン=マリー=ド=ラ・メールの風景 ファン・ゴッホ
麦畑とポピー ファン・ゴッホ
パイプと麦藁帽子の自画像 ファン・ゴッホ
ーそれに自分自身を描くことは簡単ではない。それは決して写真とは違う何か?それにほら、それこそが印象派がほかのものに特に勝っている点だ。それはありふれたものではない。人々は絵の中に写真よりもずっと深いところで類似したものを探している。-妹ウィルへの手紙よりー
自らに起きた精神病の発作によって、1889年5月ゴッホは自発的にサン=レミの精神療養院に入った。けれども、制作する手をとめず次々と作品を産み出していった。
サン=レミの療養院の庭 ファン・ゴッホ
この作品はとても美しく、大好きな絵です。
糸杉 ファン・ゴッホ
蔦の絡まる幹 ファン・ゴッホ
オリーブを摘む人々 ファン・ゴッホ
曇り空の下の積み藁 ファン・ゴッホ
ゴッホは、1890年5月20日、パリ北部に位置するオーヴェール=シュル=オワーズに移った。そして旅館ラヴ―に宿泊し、神経系の病気を専門とするガシュ博士という理解者を得た。彼は同年7月29日、37歳で亡くなるまで、自分自身の芸術を追い求めた。
ポピー畑 ファン・ゴッホ (1890年オーヴェール=シュル=オワーズにて)
ガシュ博士の肖像 ファン・ゴッホ
ーガシュ博士はもう友達みたいなものだし、新しい兄弟のような関係にもなるだろう。僕らは身体的にも精神的にもたくさんの共通点がある。彼はとても神経質で風変わりで、新たな一派の芸術家たちと友情をはぐくみ、彼らのために可能な限り世話を焼いてやっている。-妹ウィルへの手紙よりー
ー旅から戻ると、きみからの手書きとエッチングを見つけた。(……)ガシュ博士のことはよく知らないが、ピサロ爺さんが彼についてよく話している。それに、きみの作品や考え方に理解を示してくれるような人がそばにいるというのは、心地よいことだろう。-友人の画家ゴーギャンからの手紙よりー
薔薇 ファン・ゴッホ
私は幸運にも、「ゴッホ展2020」を鑑賞することができました。本展は、ファン・ゴッホの画業の初期から、印象派の洗礼を受けて独自のスタイルを確立するまでを追っています。
ゴッホの絵は以前からとても好きでしたが、彼がこれほどまでに努力家で、新しいことを吸収する精神を持った勉強家だったということは、知りませんでした。
この展覧会のすばらしいところは、彼自身の絵画やドローイング約50点に合わせて、彼の絵の基礎になり、そして方向性を決定づけたハーグ派と印象派の作家たちの作品約30点も展示されたところだと思います。そして、弟や妹、友人たちに宛てた手紙の抜粋を、作品の横に展示したことも観るものの理解を深めたと感じました。
これだけの準備をされたゴッホ展(上野の森美術館&兵庫県立美術館)の学芸員さんや関係者の方々に、感謝と尊敬の気持ちをささげたいと思います。心から、ありがとうございましたと申し上げます。
本物には到底及びませんが、短くも豊かなゴッホの画家としての人生を、皆さんが彼の作品と言葉を通して味わってくだされば、とても嬉しく思います。
薔薇
1880年、27歳の時に画家を志したファン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890)は、画業の初期にハーグ派の影響を受けました。特に、中心的な画家のひとり、アントン・マウフェ(Anton Mauve, 1838-1888)が縁戚関係にあったことから直接の指導を仰ぎ、その後、ハーグに移住して他の画家たちとも交流します。
ヨゼフ・イスラエルス(Jozef Israels, 1824-1911)やヤコプ・マリス(Jacob Maris, 1837-1899)、マテイス・マリス(Matthijs Maris, 1839-1917)らマリス兄弟を中心としたこのグループは、街の近辺で出会う身近な風景を描きました。対象を正確に写し取るのではなく、示唆に富んだ筆致で仕上げた彼らの絵には、時としてスケッチのような趣が残されています。このように、細部ではなく印象を重視した手法をファン・ゴッホはまず身につけたのです。
(兵庫県立美術館サイトより)
ゴッホは、画家になることを決心してから、独学で学び始めた。色彩理論や素描について描かれた本を読み、それを実践する場としてホルバインやミレーなどの過去の巨匠作品を模写した。(ゴッホ展図録より)
疲れ果てて ファン・ゴッホ
ジャガイモを食べる人々 ファン・ゴッホ
器と洋梨のある静物 ファン・ゴッホ
白い帽子を被った女の頭部 ファン・ゴッホ
ゴッホは農民画家として、上記の作品を描き、友人たちに披露したが、反応はそれほどよいものではなかったようです。
この展覧会では、ゴッホが影響を受けたハーグ派の画家たちの絵も展示されていたのがとてもよかったと思う。私はなかなか観る機会がないからだ。その中から数人の画家の絵をご紹介します。
4頭の曳き馬 アントン・マウフェ
縫物をする若い女 ヨゼフ・イスラエル
街の眺め ヤコブ・マリス
出会い(仔ヤギ) マティス・マリス
これらの絵は、派手さはないがどの絵も、人間の温かみを感じることができると思う。
ー「『芸術は自然に付け加えられた人間だ』僕は芸術という言葉についてこれ以上の定義を知らない。」by ゴッホー弟テオへの手紙より抜粋ー
1886年、ゴッホは弟テオを頼って突然パリに出た。ファン・ゴッホは、初めて目にする印象派の作品に大きく衝撃を受けるのだった。
陶器壺の花 アドルフ・モンティセリ
モンティセリはゴッホがパリに出てすぐに心酔した画家だそうです。暗い背景と明るく鮮烈な花の色の対比、盛り上がった厚塗りに筆遣いなど、多くを彼から学んだとのこと。
花瓶の花 ファン・ゴッホ
それまで写実主義的な絵を描いていたファン・ゴッホは、印象派の作品に大きく衝撃を受け、その明るい色遣いや筆触を取り入れるようになった。
エラニーの牛を追う娘 カミーユ・ピサロ
大好きなピサロの絵の展示もありました。
ーピサロが言っていることは本当だ。色を調和させたり、また不調和にすることで生まれた効果は、思い切って強調しなければならない。ーテオへの手紙よりー
クールブヴォアのセーヌ河岸 クロード・モネ
モネのすばらしい風景画です。何と美しいのでしょう。
ー……今や彼らの作品を見てきて、その一員でないにしても、印象派の絵のいくつかに大いに感服している。例えば、ドガの裸婦やクロード・モネの風景画なんかそうだ。-友人の画家リヴェンスへの手紙より-
水飼い場 ポール・ゴーギャン
ーデッサンについてゴーギャンが教えてくれたことに僕が多くを負っていること、それに彼が自然を愛するその方法を常に高く評価しているのは確かです。僕の意見では、彼は芸術家である以上に人としてすばらしいー友人の画家、ジョン・ピーター・ラッセルへの手紙よりー
タンギー爺さんの肖像 ファン・ゴッホ
モンマルトルのテオとファン・ゴッホの住まいの近くにタンギー爺さんの画材屋があった。この店主は画家たちの面倒をよく見て「タンギー爺さん」と慕われていた。……(ゴッホ展図録より)
ータンギー爺さんのところに小さな部屋を借りて、かなりの数の作品をそこにおくことにした。(……)こうすることで、爺さんはいつでもとても簡単にきみの作品を飾ることになる。ブドウ畑や夜景の効果に使われている色遣いに、爺さんがどれほど夢中になっているか想像できるだろう。いつかきみにも、ぜひ彼の賞賛を聞いてほしいよ。-テオからの手紙よりー
タンギー爺さんのことを、原田マハさんが「ジヴェルニーの食卓」という短編集に書いています。タンギー爺さんの人柄がリアルに感じられるように描かれていますので、ご興味があればどうぞ。
南仏の光溢れる景色の中で、ファン・ゴッホは独自の技法を打ち立てていきます。自然を観察し、原色を使い、絵の具を厚く塗り重ね、風景や人々を描きとめました。
(兵庫県立美術館サイトより)
河岸の木々 ファン・ゴッホ
麦畑 ファン・ゴッホ
サン=マリー=ド=ラ・メールの風景 ファン・ゴッホ
麦畑とポピー ファン・ゴッホ
パイプと麦藁帽子の自画像 ファン・ゴッホ
ーそれに自分自身を描くことは簡単ではない。それは決して写真とは違う何か?それにほら、それこそが印象派がほかのものに特に勝っている点だ。それはありふれたものではない。人々は絵の中に写真よりもずっと深いところで類似したものを探している。-妹ウィルへの手紙よりー
自らに起きた精神病の発作によって、1889年5月ゴッホは自発的にサン=レミの精神療養院に入った。けれども、制作する手をとめず次々と作品を産み出していった。
サン=レミの療養院の庭 ファン・ゴッホ
この作品はとても美しく、大好きな絵です。
糸杉 ファン・ゴッホ
蔦の絡まる幹 ファン・ゴッホ
オリーブを摘む人々 ファン・ゴッホ
曇り空の下の積み藁 ファン・ゴッホ
ゴッホは、1890年5月20日、パリ北部に位置するオーヴェール=シュル=オワーズに移った。そして旅館ラヴ―に宿泊し、神経系の病気を専門とするガシュ博士という理解者を得た。彼は同年7月29日、37歳で亡くなるまで、自分自身の芸術を追い求めた。
ポピー畑 ファン・ゴッホ (1890年オーヴェール=シュル=オワーズにて)
ガシュ博士の肖像 ファン・ゴッホ
ーガシュ博士はもう友達みたいなものだし、新しい兄弟のような関係にもなるだろう。僕らは身体的にも精神的にもたくさんの共通点がある。彼はとても神経質で風変わりで、新たな一派の芸術家たちと友情をはぐくみ、彼らのために可能な限り世話を焼いてやっている。-妹ウィルへの手紙よりー
ー旅から戻ると、きみからの手書きとエッチングを見つけた。(……)ガシュ博士のことはよく知らないが、ピサロ爺さんが彼についてよく話している。それに、きみの作品や考え方に理解を示してくれるような人がそばにいるというのは、心地よいことだろう。-友人の画家ゴーギャンからの手紙よりー
薔薇 ファン・ゴッホ
私は幸運にも、「ゴッホ展2020」を鑑賞することができました。本展は、ファン・ゴッホの画業の初期から、印象派の洗礼を受けて独自のスタイルを確立するまでを追っています。
ゴッホの絵は以前からとても好きでしたが、彼がこれほどまでに努力家で、新しいことを吸収する精神を持った勉強家だったということは、知りませんでした。
この展覧会のすばらしいところは、彼自身の絵画やドローイング約50点に合わせて、彼の絵の基礎になり、そして方向性を決定づけたハーグ派と印象派の作家たちの作品約30点も展示されたところだと思います。そして、弟や妹、友人たちに宛てた手紙の抜粋を、作品の横に展示したことも観るものの理解を深めたと感じました。
これだけの準備をされたゴッホ展(上野の森美術館&兵庫県立美術館)の学芸員さんや関係者の方々に、感謝と尊敬の気持ちをささげたいと思います。心から、ありがとうございましたと申し上げます。
本物には到底及びませんが、短くも豊かなゴッホの画家としての人生を、皆さんが彼の作品と言葉を通して味わってくだされば、とても嬉しく思います。